ネット落ち穂拾い
結婚も職探しも「どうなったとしてもそこそこ上手く楽しくやっていける」ってのが本来の成熟した大人であって、かたやリクルートさんは何処かに自分とピッタリな職や伴侶がいる!って幻想を売って商売をしておられるので、賢明な学生さん達はできれば早くそのネズミの回し車から降りた方が良いよね。

In the end, only three things matter: how much you loved, how gently you lived, and how gracefully you let go of things not meant for you.

「最期には三つの事だけが重要だ。いかに愛したか、いかに優しく生きたか、そして、いかに潔く自分のものでないものを手放したか、だ。」仏教の教え

Buddhist Saying (via wendesgray)
思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言われたことは一度もないと思う。その代わり散々言われたのは「よく調べろ」。自分の頭で考えるというのはそれなりの危険があって、不適切な材料と不十分な思考力では斜め上にたどり着くものだ。

Twitter / mishiki: 思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言わ … (via wideangle)

万回のreblogに値する

(via pressthebackspacekey)

おっとちきりんの悪口はそこまでだ

(via tamejirou)

31: チーター(大分県):2013/07/08(月) 20:28:25.55 ID:bQEagF/b0

でも、「明治時代の子供人口」と
「現在の子供人口」が同じぐらいなんでしょ?

明治時代と言えば偉人も天才も大勢出てきて
国全体に活気があった時代。

子供の人数が同じでも、それだけ元気な歴史が作れるんだから、
問題なのは「少子化」じゃなくて「多老化」でしょ(´・ω・`)

あちこちで「子供が少ないせい」みたいに言うのはミスリードだよね。

日本人に聞くと「休み」と答え、 欧米人に聞くと「遊び」と答える。 なぜ、このような違いが生まれるのか? 一般的に「日本人は「カラダ」を使って稼いでいて、欧米人は「頭」を使って稼いでいる」と
言われています。

ところで赤ちゃんはなんでもなめたがりますが、この行動に重要な意味があることがわかりました。赤ちゃんの腸内細菌を調べると、生まれたばかりのころは無菌なのですが、その後は大腸菌が急速に増え、つまり悪玉菌が急激に増えるのです。しかし、おっぱいを飲んでいると、ビフィズス菌や善玉菌が増えていきます。

 赤ちゃんは、お母さんの胎内では無菌状態、免疫ゼロで過ごします。しかし外界に出ると、インフルエンザ菌やさまざまな悪い菌がたくさんいるため、対抗できる体を作らなければなりません。そこで、「ちょいワル菌」を体内に取り込むのです。いい菌を入れても免疫は発達しませんから、それがいろいろなものをなめることに関わっているというわけです。

 ですから生まれてすぐ、おっぱいも哺乳瓶も消毒して無菌室のような部屋に入れてしまうと、赤ちゃんの腸はきちんと発達しません。事実、生まれたばかりでアトピーになっている赤ちゃんの便を調べたら、半分近くは大腸菌が一匹もいませんでした。ということは、アトピーになっても治らない。成人になったら、卵も牛乳も受けつけない体になってしまうのです。ですから赤ちゃんには自然にそのまま、好きになめさせたらいいのです。不潔なように見えますが、本当は必要なことなのです。菌の力を借りて、人間の力を強めようとしているわけです。つまり体を強めるためには、「ちょいワル菌」と付き合わなければいけない。いいやつと付き合うだけではだめなのです。それは、動物もやっていることです。

【英語これだけは覚えとけ】

I see:わかる
Definitly:せやな
That’s it:それな
Absolutely:ほんまそれ

Twitter / massu909 (via gakujin)
最近ものすごくよく言われるんです。50overのおじさまたちに。 「最近の若い人って欲が無いよね。車とか服とか欲しくないの?今、若い人って何が欲しいの?」って。 新聞社のおじさまとか出版社のおじさまとか、バブリーな時代を経験した人ね。 「まず“若い人”とかでくくんなよ」ってイラっとくるけどまあそれは置いといて、そういう人に私は良く答える。 「欲はあるんです。でも、それは上の世代の人たちとは違う欲なんです」って。 その違う欲ってなんだろう?って今改めて考えてんだけど。 今の若い人って、なんとなくだけど承認欲求は上の世代よりずっと強いと思うんだよね。自分も含めて。 起業する人とか、人とは違う生き方を求める人が多いっていうのもそのせいじゃないかと思うし。 心のどっかが満たされないから承認してほしいわけだよね。
この歳になって周りを見て本当に思うんだけど、自分が一人じゃない、という確認をしたいがために人との交流を無理やりはかる人の多さは少し異常だと思う。青春はもう終わったんだ、と認められない大人の多さというか。一人でいることを罪悪だと思い過ぎる人が多過ぎるというか。あまりにもダルい。
Twitter / b2949 (via katoyuu)
中学の時に作文が上手な女の子がいて、彼女の付けるタイトルは、意外性のある想像力を掻き立てられるものだった。
タイトルも素晴らしいが、本文はその何倍も読む価値のあるものだった。
俺たちが「修学旅行の思い出」「金閣寺を見て」なんて駄文を書いている中、「もみじ」というタイトルなんだよ。
読んでみると、いきなり帰りのバスから始まるの。で、リュックにもみじの葉が紛れ込んでいるのを見つけて、「どこのもみじだろう?」と思い返すのが本文。
「○○でリュックを開けたけどもみじはあったかな?帰ってから写真を見てみよう」「○○のもみじはキレイだった。あそこのだったらうれしい」とか。
結局どこのかは分からないんだけど、一緒に行ったから「あそこにもあったよね」と、話したくなるんだよ。

一度コツを聞いたら、マンガを描くのが趣味で起承転結がどうのこうの言っていた。それは俺には無理だなと思った。
もう一つ、タイトルは最後に付けると言っていた。これなら俺にもできそうだったので、真似している。