クリエイティブな人ほど・・・ ・他人から意見を否定される回数が増える。なぜなら、新しいアイデアを数多く出せることこそ、クリエイティブの証だから。
・他人から意見を否定されることを好む。
なぜなら、自分のアイデアが進化するいいチャンスだから。
・他の人の意見を取り入れることを好む。
なぜなら、評価されるのが自分の意見かどうかが重要なのではなく、世の中にインパクトを与えるアイデアをつくりあげられるかどうかが重要だから。
・アイデアをアイデアのままに終わらせずに、現実化させようとする。
なぜなら、現実化されないアイデアなんて何の役にもたたないことをよく知っているから。現実化する過程こそ価値があることを知っているから。
だから、 何回も何回もダメ出しされる環境に身を置きながら、 他人の考え方をどんどん真似し吸収し、 アイデアをとにかく現実化し続けること。
これが、ルーティーン作業をただこなす人からクリエイティブ作業ができる人への、脱皮の近道で、 君は現在まさにその途上にいる。
一方、高齢者がルンバを購入する主な理由は、私にとっては意外でした。「掃除機のコンセントを挿さなくてもいい」ということだそうです。部屋の電源コンセントは、たいてい床に近いところに付いています。「いったんしゃがんでコンセントを挿し、立ち上がる」という動作は、高齢者にとってはとても負担が大きいとのこと。しかも、違う部屋を掃除するときには、コンセントを挿し替えなければなりません。
ルンバであれば、掃除が終われば自動的に充電スタンドに戻ってきます。また、普通の掃除機はクローゼットに片付けることが多いので、出したりしまったりが大変ですが、ルンバは出しっぱなしが前提なので、そうした手間もかかりません。要するに30~40歳代は「時間の節約」、高齢者は「労力の低減」が購入動機になっているのです。
そもそも大相撲とは神事であり、興行であり、伝統芸能であり、非現実の世界。何故髷を結うのか、何故まわしなのか、何故女人禁制なのか、理屈立てて説明できないことがいくらもあるのです。純スポーツとして考えた場合も、相手を押し出せば勝ちという競技性でありながら「体重別」になっていないなんて、理不尽の極みでしょうが。何を今更「八百長」などに文句を言うのか。
ディズニーランドのキャストが「ミッキーはいないよ」「あれは被りものだよ」とか言いますか?お化け屋敷の職員が「全部人形です」「本アトラクションのお化けはすべて作りものです」なんて言いますか?ヒーローショーのナントカレッドがサインを求める子供に「俺レッドじゃないから」「先週は怪人やってたんだけど」なんて言いますか?言わないでしょう。彼らは夢を売っているから、夢を壊さないようにするのです。それが、プロフェッショナルの生き様なのです。廃業したからといって、夢を壊すような振舞いをするのは、プロの生き様ではありません。
若ノ鵬に大相撲の何たるかを教えられなかった、師匠・兄弟子には猛省を求めます。
かつて私の尊敬している人が「内気はプライドだ」と言っていました。内気な人は自分自身について悩むことにたくさんの時間を使い、外に目を向けるべき時や仕事を成し遂げたり状況を改善したりすべき時でさえも、人から自分がどう見られるかばかりを心配してしまうと。
これは素晴らしいアドバイスです。自分自身について考えすぎるのではなく、もっと外に目を向けましょう。事実、誰もが自分のことばかりを考えていて、誰もあなたのことなど気にしていません。自意識過剰になる必要はないのです。
よく女性の出生率トータルで語られることが多いですが
実は、
結婚後の1人あたり出生率は1972年から2005年までさほど変わっておらず
目立って減少しているのは、婚姻数。
「日本の水道水は、蛇口からそのまま飲める世界でも珍しい例です。」
よく知られた話ですし、海外に行かれた経験をお持ちの方なら、それを肌で感じた場面があるかも知れません。
同じように水道水を、そのまま飲める国として「カンボジア王国」があることを御存知でしょうか?
今回は日本とカンボジア王国の水道水にまつわる話を紹介します。
カンボジア王国は、東南アジアに位置する熱帯雨林気候の国で、その豊富な降水量から「水の国」と呼ばれていました。
しかし、長年の内戦で水道インフラは破壊され、1990年代初頭は一日のうち、14時間も断水していました。
水質も悪く、水が悪ければ、おいしいご飯も炊けません。
水道水で炊いたご飯は茶色く色づいてしまったと言います。
おまけに漏水率も低く、その数値は72%。
つまり、供給された水道水のうち、7割以上が一般家庭に給水されるまえに途中の水道管から漏れだしたり、不法に接続された配管から水が盗まれていたのです。
特に首都プノンペンでは、政府高官が水を勝手に売って私腹を肥やす事態まで発生しました。
水道施設などのハード面でも、それを管理監督する人間のソフト面でも荒廃していたのです。
そこで救いの手を差しのべたのは、「北九州水道局」でした。
他の自治体にも打診はありましたが、「カンボジアは地雷の国」というイメージが強く、首を縦にふる自治体は現れませんでした。
主にJICA(独立行政法人 国際協力機構)の技術協力プロジェクトに参画することにより、まず首都プノンペン(人口約120万人)において、2003年から2006年にかけて浄水場の整備や水道管設置に大きく貢献しました。
その結果、以前は半日以上断水していた水道が24時間供給されるようになりました。
さらに2007年からは、カンボジア王国の主要都市(シェムリアップ市・シハヌークビル市・バッタンバン市・プルサット市・コンポンチャム市・カンポット市・コンポントム市・スバイリエン市)でも同様の技術協力事業を行っています。
また、現地に北九州水道局員を派遣するだけでなく、カンボジア王国からの研修生を北九州市に受け入れ、人材育成にも取り組んでいます。
もちろん困難もありました。
暴動に巻き込まれ、滞在していたホテルを焼け出されたり、帰国日前日の夜から翌日朝の出発ギリギリまで浄水場の捜査手順の確認をしたりと、現地での技術指導には、その国のならではのトラブルとの戦いもあったのです。
この技術協力のおかげで、プノンペンでの漏水率は2009年の時点で6.2%まで激減しました。
なお、ロサンゼルスは漏水率9%、ロンドンでも26.5%という数値です。
プノンペンでの漏水率がいかに優秀か、この数値でハッキリわかります。
(ちなみに東京は3%、これは世界最高水準です。)
漏水率が下がると、結果的に水道事業体の経営も改善され、サービスに還元されます。
つまり、「水道を設置したい!」と訴える住民が増え、普及が進み、それが水質向上につながる好循環が生まれたのです。
さらに、職員に制服を支給し、給与も上げて規律を高め、汚職も一掃。
水道料金も順調に徴収出来るようになりました。
水道水を供給する側にも、利用する側にも「蛇口をひねれば、すぐ飲める」という事が誇りになっていったのです。
こうした技術協力が成功するか否かは、現地の人々との信頼関係を築けるか否かが鍵になります。
上から目線で、「お前たちに与えてやる、感謝しろ。そのかわり儲けはよこせよ!」というスタンスでは絶対に信頼関係など築けるはずがありません。
お互いが同じ目標に向かって、共に汗をかき、共に苦労し、共に喜びを分かち合う。
このような姿勢が現地の人々に受け入れられたのでしょう。
任期を終えた北九州水道局職員が日本に帰国する際に、「またカンボジアに戻ってきてください」と、現地スタッフから寄せ書きが送られています。
また、プノンペン水道公社のエク・ソン・チャン総裁は、同公社事務所を訪ねた吉田一彦水道局長に対し、「私達は、北九州水道局を兄だと思っている。日本は経済成長のために、海外にどんどん進出すべきで北九州市は水道分野で、そのパイオニアだ」と挨拶されました。
日本の技術と支援が「信頼」という形になった何よりの証でした。
今日も、日本の技が生み出した透き通った水道水が、カンボジアの人々の喉を潤しています。
だれにでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略がない人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかが分かっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。戦略を行使するためのモチベーションの対象を持っているか持っていないかですべてが決まってしまう。そして、モチベーションの対象を持っている人は、全体の数パーセントだろう、彼らは自分の人生を選択する。自分の人生を選択するために、自分の資源をチェックし、モチベーションの対象に集中して投資するのだ。この世の中には、それができる人と、できない人がいるだけで、それ以外にはいない。きっかけも秘訣も苦労も関係がない。
従来の反原発派には「機械は壊れる、人はミスをする、それでも人は機械を使って生活せざるを得ない」「ミスや故障を前提に設備を設計する」という現代社会の常識が欠けているのだと思う。犯罪的工学的無知と言って良い。
「勇気がないから行動できない」のではなく、「行動すると勇気が出る」し、「他人の目が気になるから、言いたいことが言えない」のではなく、「言いたいことを言うと、他人の目が気にならなくなる」のです。 これは、自転車とそのランプの関係にとてもよく似ています。
実際のところ歴史の用語にはこういうの凄く多い。最も有名な例としては「鎌倉幕府」と「室町幕府」が挙げられると思う。歴史において「鎌倉幕府」「室町幕府」という組織が存在していたことはない。
当時の時代の言葉では、「鎌倉幕府」は「鎌倉殿」「関東」「武家」だし、「室町幕府」は「室町殿」「武家」などと呼ばれていることが多い。
そもそもいわゆる鎌倉時代からいわゆる江戸時代以前までの日本では組織や人間の名前というのはあまり重視されておらず、人名の漢字や訓みは適当に表記されるし、組織にも特に名前をつけないまま曖昧に運営されていたことが多い。
これは武家社会の本質が、公的な支配ではなく、私的な契約の集合体だったことなどに起因するところもあるのだろうが、とにかくそういう社会だった。
で。大河ドラマに限らず、教科書など教育現場、小説マンガ映画ドラマなどの娯楽で広く「鎌倉幕府」「室町幕府」などという言葉が使われる。
この幕府という言葉の正体は、鎌倉を中心とした武家の政権や京都を中心とした武家の政権に、後世の学者がいい加減に名前をつけたものにすぎない。例の「王家」という言葉も、いわゆる平安期の朝廷権力に対して後世の学者がいい加減に名前をつけたものにすぎない。すぎないんだが、平然と歴史家が使い、教育の場で使われるので、さもそのような名前と、それに対応する強固な概念があったと思い込む人が沢山いる。
沢山いるんで、「鎌倉幕府が成立した年代はいつなのか」などといったくだらない議論が論壇に花を咲かせることになる。そもそも「鎌倉幕府」などというものが成立していたことなど一度たりとてないのに。