ネット落ち穂拾い
思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言われたことは一度もないと思う。その代わり散々言われたのは「よく調べろ」。自分の頭で考えるというのはそれなりの危険があって、不適切な材料と不十分な思考力では斜め上にたどり着くものだ。

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万回のreblogに値する

(via pressthebackspacekey)

おっとちきりんの悪口はそこまでだ

(via tamejirou)

不思議なことに、気に入った物をどんどんカートにブッ込んでいくだけで、 ある程度の物欲は満たされます。そこで清算ボタンを押すのは素人。 一旦満足したらお茶でも飲んで、一呼吸置いてからカートを見直します。
戦争を語り継いでもダメ
戦前こそ語り継がなければならない
そこには戦争へのプロセスが隠れているから
私はよく管理職の研修などで「かりてきたねこ」というキーワードを紹介しています。「(か)感情的にならない」「(り)理由を話す」「(て)手短に」「(き)キャラクター(性格や人格)に触れない」「(た)他人と比較しない」「(ね)根に持たない」「(こ)個別に叱る」の頭文字です
結論から言うと、言語は「聞く」→「話す」→「読む」→「書く」の順で学ぶことが正解だと思います。
空気を読むのが苦手な人と話すとき、役所手続きのとき、誰かと口喧嘩になりそうなとき、年の離れた老人と話すとき、小さな子供を叱るとき、外国人と話すとき、共通して気を付けていることがあります。『まず自分が一番伝えたいことを一つだけ伝える。そして自分や相手がそこから論点をそらすことを強く律する。』
何でわざわざ図書館を建てて図書を収蔵するか知ってる? 「そんな本保存する必要があるのか」とか言うような本の価値を知らない奴から図書を保護する為だよ。

考えてみてください。明確なロジックのあるなしにかかわらず、エンドユーザーは「直感」で良い悪いを評価します。それも一瞬で。

であれば作り手である我々も、まずは直感ででなんとなく評価するべきです。

最悪なのは、パッと見で違和感を持ったにも関わらず、遠慮して伝えないことです。理由はあとで一緒に考えれば良いので、まずは口に出しましょう。

私もうちの住職の世代やおじいさんの世代から
「わしらの修行の時代はもっと厳しかった」とよく言われます。
もっと寒かったし、坐禅の時間も長かった。
修行期間中、ちょっとうちのお寺に帰るようなこともなかった、と。

でも、修行中に指導者でいらっしゃる老師さまがあるとき
「君たちは偉い」
と言ってくだったんです。

「私たちのときは修行は確かに厳しかった。
でも、道場の中も外もあまり変わらへんかった。
食べるものはないし、テレビもなければ、車もなかった。
お寺の中の世界も外の世界もあまり変わらない。
もちろん修行だから、外の世界より厳しくなるのは当たり前であって。
今の世の中は、家の中に暖房もあって、
炊飯器も、テレビ、パソコン、携帯、インターネットもある中で、
君たちは朝3時に起きて、薪でごはんを焚いて、朝から晩おそくまで坐禅をやって、
そのほうがよっぽど立派や。
君たちはしっかり自信を持ってやりなさい」と。

はま寿司の、人間の介入を極力減らしたことでお客の数に対して明らかに足りていない生身の店員が終始イレギュラーな対応に追われている風景が、 機械を便利に使っているつもりが人間の方が疲弊していく類のSF感が出ててとても良い。
Twitter / syuzzy (via igi)